あのんの辞典 注釈

 

 

「あ」

 

 

【あのんの教室】(あのんのきょうしつ)→

 最近の「あのんの教室」の話題の例示は以下。

・なぜ一般に女性のほうが男性より服飾や化粧等に興味があるのか。

 知性の発達が、生物学的選択肢をシステムの一部として持つことの負担を軽減させるために、生物学的システムを知性による社会システムに置換した。

・「納得」について。以前も同様の話あり。(→「納得」ってな~んだ

・「概念だらけなんだよ」(→気にもしていなかった「概念」

・「印籠効果」(→印籠と承認欲求

・技術と価値観の対立。高度技術と倫理について。

・人が考えることができない「もの」や「こと」とは、どのような「もの・こと」であるか。対象と認識の構造の分析。

・「訓読みの自由度」。所属する言語階層の影響。

・「知識の背後にあるもの」。学ぶ能力とその限界。学ばなければいけない必須事項。

・「自慢」の分析。承認欲求の満足のために行われる「意味のすりかえ」という心理操作に潜む醜さ。

・表現模索の一手法。受け手として想定した精神練度が持つ概念の深化度を共用化する。

・「権威」の構造、「権威」と「権力」の関係など

・欲望に関して

 欲望のやみくもな追求は「資源」の浪費である。自覚している欲望は制御しやすいが、自覚していない欲望は野放し状態になっている。欲望を手段として使ってもいいが、目的にしてはいけない。

・「悟り」についていろいろ

 見聞する「悟り」に関しての記述は「指導系」「自慢系」「商売系」に分類できる。

「解説されている『悟り』の段階」は「目的のために再構成されたもの」。それを目的としないならば気にする必要はない。

「悟りに執着することの害」は「悟りの効用がない者」にとっておそらく甚大である。しかしなぜかお馬鹿な人ほどひきつけられる。「悟り商売」の連中は喜んでいるだろうけど。

・事象の把握は概念によってなされる。そして、内包と外延の関連づけは「経験的」なものである。君たち自身がこの世界に意味を与えて再構成しているんだよ。

・仮説の提出立証能力と与えられたものを理解する能力。創出にかかわる能力と知識を整理する能力。

・外来語の意味変容過程。意味の一部や派生した意味を強調した専用語化にみる造語作用とその濫用。造語作用による意味変容の必然性。

・「おもしろい」を数学的に記述する

 経験値関数 E(t,i,y)=yΣ(tki)が適当にでっちあげられる。(k=1からn、yは期間、tkは単位期間内の機会、iは重要度)

 この式より、遭遇する機会の少ない人はそれを多くすればよいし、ある程度機会があるのならより興味のあることに向かう努力をしたほうがいい、ということがわかる(これはあたりまえか)。

 また、各人のEを比較することによって、お馬鹿な人ほど「楽しむには人生は短すぎる」が導かれる。

・「納得」の分析。検証後の是認と受容。納得後の検証回避の利益と問題点。

・文化の違いによる各種概念発生の傾向とそのフィードバック

・「成功体験」のない人たち。困難を忌避する言い訳とできあいの「虚構の成功」の購買に対する熱心さ。

・華美と質素の感覚。つけ加える美とそぎ落とす美。

・「儀式」における「祝祭性」の意味

・欲望間における排他性と親和性について

・シー・シェパードのようなテロリストについての一考察。一神教の構造から見た快楽提供型テロ。

・インド思想の分析的思索にみる厳密性

・SFのアイデア。量子論的レベルで「物質」と「概念」との間に可逆反応があることが発見される。世界の釣り合いをとるために「物質派」と「概念派」が抗争。

・世界観や価値観の持つ齟齬。「世界内存在としての自己」と「自己が生かされている世界」とのかかわりあいとすり合わせ。

・信頼関係の構造。義務と権利における利己的要求の取り扱い。

・「一般化」における想像力の関与

・「権利という概念」の発生にかかわる世俗勢力の意義

 これらはあらかじめ準備された話題というより、主にその場の思いつきで話し始められ、それゆえ論旨はかなり荒削りで、明確な結論に至らない場合が多いようです。「考えることのおもしろみ」を味わえる人なら楽しむことができるかもしれません。

 

【あのんの辞典】(あのんのじてん)→

 いつも行くチャット部屋で常連の一人と話をしていた。たまたまこの「辞典」の話になり、わたしは次のように述べた。

 おそらくこの「辞典」を読んで、少数のある割合の人が「よし、自分もちょっとこのようなものを書いてみようかな」と思うであろう。

 その人の返事は「どき」であった。

 五つ六つはすぐ書けるであろう。二十三十もどうにか書けるであろう。さて、それが百まで届くか。

「ううう」

 そして、後で自分の書いたものを読みなおすと、頭をかきむしり、次にこれらを誰かに読ませることはかかなくていい恥をわざわざかくことを意味すると気づくであろう。

「あわわわわ」

 といって、わたしも自分の能力の限界から自分の下手さかげんやまずいところや間違えているところがわからない、ということは認識してるから。わたしが「知らぬが仏」状態なのであれば、まだ自分の書いたものを発表しなかった人たちのほうが「賢い」んだろうねえ。

「わーい。ほめられちゃった」