あのんの辞典

 

 

「な」

 

 

【内省】(ないせい)名詞 欲望に踊らされている自己を発見できるようになって内省は始まる。自慰のために人前で大声をあげている連中に思慮ある行動を期待するのは間違いであることは理解していただけると思う。

 

【内戦】(ないせん)名詞 現在少し気になっているのは、中国共産党崩壊後の内戦である。崩壊時、軍管区ごとに独立を目指すだろうが、その際に中央直轄の第二砲兵隊の制圧が重要な意味を持ち、そのどさくさにややこしいことが起こらないかどうかちと心配である。わたしと同じことを気にしている人は、ロシア軍の動きを注視していれば共産党崩壊の接近がわかるであろう。ロシアとしては国境に接して傀儡政権か親露政権ができればおいしいことこの上ない。

 

【ないものねだり】(ないものねだり)成句 所有したがる者と所有される事物などの条件が整合しないものを要求すること。子供の場合はわがままが、子供でない場合は愚かさがその原因となる。特に、所有被所有の関係性がもともと成立しないものや成立させてはいけないものについては、子供にはしっかりと教え、子供でない者には神様か鬼か宇宙人に引き受けてもらうよう助言するとよい。

 

【なぜ】(なぜ)副詞 かく咲ける花もこそあれわがためにおなじ春とやいふべかりける (大和物語 三十七段)

 

【謎】(なぞ)名詞 楽しみのために謎を謎としておいておくのもいいかもしれない。

 

【納得】(なっとく)名詞 あらゆる概念は当人の「いずれかの段階・程度であるところの納得」という受容状況下で判断される。真理を求める旅に出たもののゲーデル先生を知り、むむむこの世界いかんせん。それ自身の無矛盾性の証明不可能性をどう納得しようか。「人をして確実にそのことが納得できる条件について」をその者に語らせることで、その者の馬鹿さかげん、ごめんまちがえた、その者の賢さかげんがわかるのであるな。(→「納得」ってな~んだ

 

【納得金額百分率法】(なっとくきんがくひゃくぶんりつほう)造語 商品の満足度をあらわす指標の一つ。略して「納金法(なっきんほう)」。ある商品の「買い手が納得できる購入価格」を「売り手の提示価格」で除したものの百倍の値。数値が高いほど買い手にとって価値があり、低いほど価値がない。一皿千円の料理を客が「これ、300円だったら納得する」と思ったとき、300÷1000×100=30となる。種類が違うので比較しにくい商品を「納得の面」から判断するのによい方法である。これ、あるときにわたしが思いついたんだけど、当たり前のことだからすでに別の名称であるだろうなあ。(なお、この値は100を超えることもあるし、お金を出してまで買いたくないものは0になるし、引き取ってやるから金を払えと言いたいときはマイナスの値になる)

 

【夏休み】(なつやすみ)名詞 夏休みで思い出すのは小学生の頃の「夏休みの友」という学習帳の挿絵である。具体的な特定の挿絵ではなく、その学習帳に載っていそうな挿絵全体を指す。簡単な挿絵で、麦藁帽子の少女が浜辺で沖のヨットをながめていたり、林で捕虫網を持った少年が構えていたりする、単純で簡単な挿絵である。子供向けのカレンダーの夏の絵にも同じようなのがある。ああいうの、大好きなのだ。じーっと長い時間見ていたりする。

 八月晦日 行く夏や蝉鳴き宿題目は泪 あのん

 

【なにかをしているなにか】(なにかをしているなにか)造語 ある「人」がいる。生物学的・法的に「人」である。しかし文化的には「人」として見ることができない。わたしはそのような存在を「なにかをしているなにか」と名づけた。これを「擬人」と呼ぶことにする。これらの意味でのこれらの言葉はわたし個人が使用する用語である。同一表記のわたし以外の人が遣う言葉とは区別することにする。一般名詞「人」から文化的要素を取り除いた「なにかをしているなにか」「擬人」という用語を扱うことでこの世界の一部の説明がかなり楽になる。

 

【なりすまし日本人】(なりすましにほんじん)名詞 自分を日本人であると誤解させ、あるいは法的な日本人という地位を利用して、日本を蝕み利益を得ようとしている連中のこと。また、「生まれつきのなりすまし」として、日本国籍を持つ親から日本で生まれ日本で育ち日本国籍を所持している者もいる。日本に害を与え破壊することがこの連中の利益となり、その行動はたいへんわかりやすいので、われわれ日本人はこれらの「なりすまし」を即座に判別することができる。くれぐれも外形に惑わされることなく、「連中がなにをしているか」を見て欲しい。

 

【なれの果て症候群】(なれのはてしょうこうぐん)名詞 必然的になれの果てにならざるをえない選択肢のみを自らによって選ばされるという種類の人間がいる。それにすがりつくことが自己実現と信じ、そしてやはりそれが目的化して老齢になってもすがりつくことをまだ続けている。昔からある俚諺「選んで滓を掴む」であるな。低能です。