【善行】(ぜんこう)→この言い回しは「好奇心」でも可。
「好奇心に報酬が準備されていてもよいが、その好奇心を持てることがすでに報酬なのだ」のように。
「原因→結果」で、原因の存在に価値がある場合はこの言い回しができる。
さて、この「Aの報酬はXだ」のとき「Aであることがすでに報酬である」という言い方は、一神教が馬鹿をだますときに用いることが多いのであまりわたしは好みではないんだけど、遣いやすいのでつい書いてしまうんだ。
なぜ一神教がこの言い方をしてだますのかを考えると「一神教の構造」が見えてくるんだけど、考えてみるつもりはありますか。