【自然権】(しぜんけん)→
理性を自然法の法源とする連中は、「理性」は「推論・論証能力」という「方法・手段としての形式」であることや、それゆえ決して根拠にはなりえないことをなぜ知らないふりをするのであろうか。
わたしは「馬鹿をだます」のは好みではないのであるな。
だからだますことはしない。
しかし「誤りを正す」ことにもできる範囲というものがある。世の中の人全員に説明をすることは不可能である。
となると、「できないことを前提として、その次を考えよう」となる。
結局、馬鹿に対しては「捏造であることを隠して用いること」になる。
しかたないなあ、と思っている。
(量子論を学ぶ前の高校生に物理を教えている教師の思いである。諸君が大学へ行くと、ガリレイ変換やらローレンツ変換を学ぶのであるよ、と口には出さずに思う。まあ今のところは古典物理をがんばってくれたまえ、と)
【人権】(じんけん)→
年齢が一桁のころから「うさんくさい言葉だな」と思っていた。中学生になるころには「この概念は宗教的概念だな」とわかるようになっていた。
あまり考え事をしない人は「人権という概念は宗教である」ということは誰かに教えてもらわないとわからないと思う。これはこの概念がなにに基づいているかを考えればわかるんだけど、がんばって考えて欲しいなあ。わたしはこの概念の存在を否定しているわけではないし、むしろこの概念の有用性は肯定している。そしてまた宗教的概念であるがゆえに悪用されやすいことも知っている。
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