あのんの辞典 注釈

 

 

「き」

 

 

【禁煙】(きんえん)→わたし、長年煙草をのんでいました。しかしやめました。

 禁煙の苦しみやつらさは二種類ありますね。肉体的な欲求、「ニコチン欲しいぞー」。それと精神的なやつ、「うう、のみたくてたまらん」。この二つ。

 ニコチンに関してはね、えいやっと力技で押さえつけても大丈夫。むりやり我慢する。それで十分です。何日間かでこれの欲求はなくなります。

 もうひとつのやつはねえ、何か月たっても何年たってもあります。のみたいなあ、って感じる瞬間。これが魔物ですな。

 で、そんなときに華麗にやりすごす方法。次のように考えて体を動かすと欲求を忘れることができます。

 あなたは日本で生まれて日本で育った日本人である。日本で生活してきたが、三十歳ぐらいで事情があって日本から遠く離れた場所で生活することになった。そこは日本と自然環境や歴史が違う。食べるものも違う。普段の食事がまずいわけではなく、また、そこでのおいしい贅沢な食事もある。しかし日本の食べ物は食べることはできない。あなたは思う。

「餃子食べたいよー、牛丼食べたいよー、寿司食べたいよー」

 しかしそこにはない。当地に十年暮らそうが、二十年暮らそうが、三十年暮らそうが、あなたは餃子や牛丼や寿司を食べたく思う。そこで死ぬまで暮らしていたら死ぬまで思い続ける。

 なぜか。だって、餃子や牛丼や寿司の味を知っているんだもん。

 はい。これ、煙草も同じ。煙草のおいしさを知っていたら忘れません。

 だからね、なにかのひょうしに「煙草、のみたい」って思うのはあたりまえ。きっかけがあればのみたいと思うのはあたりまえ。当然なんです。

「のみたいと思ってはいけない」とねじ伏せるとひずみができてきます。こだわってしまいます。

 空腹のときに餃子や牛丼や寿司を食べたいと思うのと同じ。思ってあたりまえ。

 あたりまえなんだからこだわらない。別の小さな用事をし始めたらすぐに忘れます。

 のみたいな、と思ったら「うん、そうだね」と呟いて、新しい小さな用事をその場でやり始めましょう。

(追記)

 喫煙欲望二分法という呼称をでっち上げた。

 ニコチンに対する肉体的欲求と精神的欲求を分かち、それを認識することで精神的欲求を「気をそらせること」でたやすく無効化できることを理解する。

 精神的欲求を肉体的欲求に誤解したままだと、肉体的欲求を抑えつける無駄なこだわりで自縄自縛状態に陥ってしまう。

 そのままするっと見逃せばいいことをなぜか追いかけてしまう。

 肉体的欲求と精神的欲求の二つがあり、それらを混同してはいけないことを理解せよ。